日常使いのうつわとして、人気の波佐見焼(はさみやき)。
実は知らないうちに使っていた、なんてこともあるくらい、私たちの生活に溶け込んでいるうつわの一つです。

波佐見焼の産地は「佐賀県波佐見町」。
この辺りを中心に生産されている陶器です。
波佐見焼は、日本の陶磁器の中でも特に歴史が古いやきものとされています。
今回はそんな波佐見焼の歴史を少しだけご紹介します!

もくじ
1|波佐見焼のはじまり
2|くらわんか碗
3|コンプラ瓶
4|最後に

1|波佐見焼のはじまり

波佐見焼の歴史は古く、16世紀にさかのぼります。
1598年(慶長3年)、大村藩主・大村喜前という人物が、朝鮮半島から陶工・李祐慶兄弟を連れ帰り、波佐見の地で伝統的な焼き物が始まったとされています。
その後、大村藩の特産品として波佐見焼は生産をされ、江戸後期には日本一の磁器生産量を誇るまでになりました。

2|くらわんか碗

それまで陶磁器は「高級品」とされていました。
そのイメージが変わる転機となったのは、江戸時代のことです。

大阪を中心に手ごろで丈夫な茶碗、「くらわんか碗」が売られるようになります。

この「くらわんか碗」は、藍色の呉須と呼ばれる色で簡単な模様を描いた器です。
大量生産されることになったこの茶碗は、それまで庶民に手が届かなかった陶磁器を、一躍「庶民のうつわ」として人気を得ることになります。

ちなみに「くらわんか」は「食べないか」の方言だそう。
淀川の船上で「飯くらわんか、酒くらわんか」と言って食べ物を売っており、お茶碗はそのご飯や酒を入れる容器として提供されていたそうです。

揺れる船の上でも使えるように、くらわんか碗は「厚手」で「重心を低くしたフォルム」という安定感あるデザインを特徴としていました。

その時代の流行や食文化によって発展してきたと思うと面白いですよね。

3|コンプラ瓶

「コンプラ」とはポルトガルト語の「コンプラドール」、意味は「仲買人」だそう。
波佐見焼は醤油や酒用のボトルとして、長崎出島からオランダ・インドネシアなどに向けて盛んに輸出され、その容器を「コンプラ瓶」と呼んでいたそうです。
瓶にはオランダ語で「日本の酒」「日本の醤油」と記されています。
実際に海を越えていたと考えると、波佐見焼がいかに頑丈だったかが分かるエピソードですね。

4|最後に

いかがでしたか?
今でこそ安価で手に取りやすい波佐見焼ですが、陶磁器の歴史を見てみると実際は高価なものだったりと、時代によってうつわへの捉え方が変わっているのも面白いですね。
日本人の生活にそっと寄り添ってくれる「波佐見焼」
ぜひ、おいしい料理のおともに、お気に入りのうつわを見つけてください。