2022.09.21 インタビュー
【産地のおたより】大堀相馬焼
いよいよインタビュースタート!
こんにちは、これいい和の店長です。
|ニッポンの技術をつなぐ|を目指している、私たち。誇りある日本の魅力を後世に繋いでいきたいという思いで、伝統工芸や日本の文化にまつわることを発信してきました。
私たちが各地の職人さんと出会い、たくさんお話を伺う中で、生まれてくる思い。それが・・・「職人さんたちの技術や思いを、より多くの方に知ってもらいたい」ということ。
職人さんたちに伺ったお話を、お伝えしていきます!
第一回目は、福島県の大堀相馬焼、松永窯さんの登場です。
それでは、どうぞ!(こちらは2018年の取材を基にまとめたものです)
大堀相馬焼とは
福島県浪江町大堀を中心に生産される大堀相馬焼。300年の歴史を誇ります。元は相馬藩の税収としてはじまりました。東日本大震災の影響で、避難を余儀なくされ、また釉薬に使う石を採石できなくなるなどの困難もありました。時代を越え、様々に変化をしながら、常に「縁起の良いもの」として親しまれています。
相馬焼の特徴
大堀相馬焼は3つの特徴があります。
①お茶が冷めにくく手に持っても熱くない「二重焼」。
ほら、このように!断面の写真を見ていただくとわかるように、二重になっているのです!これなら手に持ちやすく、またあたたかい飲み物も冷めにくい。雪国ならでは、ですね。
②模様のように見える特徴的な「青ひび」(貫入)
成形したものを窯に入れて、焼く。それが冷めてきたとき、器全体にひびのように模様が入ります。このときの「ピン・・・ピン・・・」という音は「残したい日本の音風景100選」にも選ばれているほど。でも、松永さんのお話では、昔の相馬焼は青ひびはなかったそうですけどね。
③左を向いた「走り駒」。
左を向いた馬は「右に出るものがいない」という意味を持ち、縁起物として古くから親しまれてきました。「相馬野馬追(そうまのまおい)」という祭礼も続いています。
松永窯さんインタビュー
300年続く大堀相馬焼。松永窯の3代目として現在約10の窯元の中心としてまとめている松永さんに「相馬焼とは何か」を語っていただきました。
よく「いい仕事してますね」と言われるが、楽しみはあっても、モノづくりは地味で結構大変です。
限られた人数なんで、生産する方って人数×時間って決まっています。焼いたもの、作ったものが全部商品になればいいが、焼いてみないと分からないものです。
~ある程度はお客様の言いなりになってみる~
今現在、大堀相馬焼の窯元は10窯。元は25窯あった。震災がなくても俺の代で終わっていたかもしれないですね。
新しいことをする時は、例えばお客様の知り合いで黄色が好きな人がいたとして、「これ黄色にできる?」と言われる。それが新しいものを作るきっかけになる。お客様からの声で始まることが多いです。当たるか当たらないかは別としてできる?と言われたことを「できない」というのが癪なんですよね。
クロテラス(震災を機に生まれた相馬焼と雄勝硯のコラボレーション商品)も黒が基調な陶器。
これもお客様から「黒がほしい」と言われて始まった。息子との案でできたものです。
雄勝硯(おがつすずり)は宮城の伝統工芸品で、東京駅の屋根にも使われています。知人の職人から、すずりを切るときに切った粉・・・手彫りだったから粉がでるんですよね、それをもらったので、ためしに混ぜ込んだことで新たな焼き物が生まれた。計算づくではなくて、色々試しているから当たりってのがあるんですよね。
いろんな人との関わりの中でいろんな物を作って行くんですよ。
何にしても一人でやれることはない。今までの伝統や色々な蓄積や積み重ねがあって今があります。
おわりに
松永窯さんは、息子さんの精力的な動きもあり、テレビで取り上げられたり、アイドルとコラボしたりと、様々な形で広まっています。
最後に、松永さんからこれから職人を志す人に向けてのメッセージ。「楽しんでやる、それが理想です」「自分で納得できるまでやればいい」
松永窯さん、ありがとうございました!