こんにちは!これいい和です。

今回は、石川県の伝統工芸品、珠洲焼(すずやき)をご紹介します。

もくじ
1|珠洲焼とは ― 能登が生んだ黒の美
2|珠洲焼の魅力 ― 使うほどに愛着が増す器
3|珠洲焼の歴史 ― 幻の古陶から現代へ
4|珠洲焼の技法 ― 灰が生む独特の艶と風合い
5|珠洲焼の現在 ― 伝統を未来へつなぐ挑戦
6|関連リンク

1|珠洲焼とは ― 能登が生んだ黒の美

珠洲焼は、石川県能登半島・珠洲市で生まれた焼き物。その歴史は長く、瀬戸焼や備前焼などの六古窯と並ぶ、長い年月親しまれてきた焼き物です。
珠洲焼最大の特徴は、全国的にも珍しい黒灰色の色合い。酸素を遮断して焼き締める「燻べ焼き」の技法によって、内部まで温かみのある黒が広がります。釉薬を使わずに焼く珠洲焼は、土本来の風合いが楽しめます。炎の中で舞う灰が自然の釉薬となり、偶然生み出される模様によって、艶やかで奥行きのある味わいに。そのため、一つひとつが異なる表情を持ち、唯一無二の器に仕上がります。

素朴でありながら重厚感のある佇まいは、和食にも洋食にもよく馴染み、食卓を美しく演出してくれます。土そのものの質感と、手になじむように変化する姿を楽しみながら、暮らしに寄り添う和食器として育てていける焼き物です。

2|珠洲焼の魅力 ― 使うほどに愛着が増す器

珠洲焼の魅力は、同じものが二つとない「一期一会の美しさ」です。
釉薬を使わずに焼き締めた土肌は、使い込むほどに手になじみ、灰黒色の落ち着いた艶を増していきます。器の表面に生まれる自然な凹凸や細やかな表情も、日常の使用によって少しずつ滑らかになり、丸みを帯び、より愛着の湧く器へと育ちます。

その変化はまるで、自分とともに成長していくよう。器を通して、日常の食卓を豊かに彩るだけではない、日本の焼き物文化の奥深さを感じられます。

3|珠洲焼の歴史 ― 幻の古陶から現代へ

珠洲焼は、12世紀後半から15世紀末にかけて能登半島の珠洲市で盛んに焼かれた中世の代表的な陶器です。大陸から伝わった須恵器の流れを汲むといわれ、釉薬を使わない焼き締め技法や素朴な風合いは、古代からの焼き物文化を受け継いでいます。素朴で力強い美しさは、日常の器として、そして時には芸術的な焼き物として、人々に愛されました。

しかし戦国時代、忽然と姿を消し、「幻の古陶」と呼ばれる存在に。後年、発掘によって残された断片からその魅力が再評価され、約400年の1970年代、地元の支援により復興を遂げ、再び珠洲の地で息を吹き返しました。現在も職人たちが技を磨き、伝統を守りながら新しい珠洲焼を生み出しています。時を経てもなお、人々を惹きつけ続けています。

4|珠洲焼の技法 ― 灰が生む独特の艶と風合い

珠洲焼は、鉄分を豊富に含む能登の土を用い、珠洲焼独自の技法で作られます。まず、粘土を紐状にして巻き上げながら形を整える「粘土紐巻き上げ」の工程で器の基本形を形成します。その後、叩き締め(甕・中壺類)、あるいはロクロ挽き(小壺・片口鉢類)によって器形を整えていきます。この二段階の技法は、珠洲焼固有のもの。

その後、焼成は穴窯で1200度以上の高温で焼き上げる「燻べ焼き(くすべやき)」という焼成法を用います。

この技法の特徴は、釉薬を一切使わず、炎と灰だけで器を仕上げることです。珠洲の土は鉄分が多く、高温で焼かれた際に舞い落ちる灰と相まって美しい自然の釉薬となり、器の表面に炭化して独特の灰黒色の艶を生み出します。ひとつひとつ異なる灰のかかり方が、まるで自然が描いた模様のように表情を作り出します。同じものは二つとない珠洲焼ならではの風合いが生まれます。

このように、素材と炎、職人の技が融合して作られる珠洲焼は、使うたびに手に馴染み、時を経るごとに味わい深く変化していきます。

5|珠洲焼の現在 ― 伝統を未来へつなぐ挑戦

令和6年の能登半島地震により、珠洲市内の多くの窯元が被害を受けました。現在も作陶を再開できない工房があり、オンライン販売やイベント出店の機会も限られています。そのため、珠洲焼を直接手に取れる機会は多くありません。

それでも、多くの職人は「作陶を続けたい」という強い思いを胸に、復興に向けて歩みを進めています。珠洲焼を暮らしに迎えることは、職人たちを応援し、石川県を代表する伝統工芸を未来へとつなぐことにもつながります。日々の食卓で珠洲焼をお使いいただくことで、能登の職人たちを支えることにつながります。ぜひお手に取っていただければと思います。

6|関連リンク

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